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東日本大震災 女川町立病院ボランティア支援

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女川町立病院ボランティア支援報告

 薬剤部長 藤本 康嗣(現:薬剤部 参与)               
 主任 津野 丈彦(現:横浜市立大学付属 市民総合医療センター)

2011/4/18

9:30 横浜新緑総合病院 出発
12:00 高坂サービスエリア 昼食 休憩
12:30 八坂⇒須賀川 事故通行止め 一般道へ
16:45 仙台 東北大学付属病院 到着 仙台中心部は平穏。
眞野薬剤部長面談 宮城県内被災地情報、支援体制について情報収集。

南三陸町

イスラエル救援部隊が残したプレハブを仮診療所として県立志津川病院が診療の体制をとり、ボランティアとともに対応中。

石巻

石巻赤十字(蛇田近辺は津波災害を免れている)が救急を対応。市内約80件あった薬局が30件程度しか機能していない。
石巻市立は旧市役所の建物内にて外来診療のみ対応中

女川

女川町立病院は独法化移行中であったために被災時の薬剤師常勤は山内薬局長1名のみ。独法化は現状では見送り状態。就職予定であった薬剤師は就労辞退。

町内薬局は全て被災。生存薬剤師1名避難所にて確認 新田薬剤師を4月中旬から常勤採用とし、4/19現在は常勤2名にて薬局業務に当たる。

東北大学病院薬剤部

被災当初は、東北大付属病院から10名の薬剤師を被災地に振り分けて派遣し支援してきた。この間、東北大学付属病院の薬剤部業務は病棟業務を行えない状態が続いた。現在は他のボランティア支援薬剤師の人員を確認し1名から数名を不足している被災地に派遣し対応している。

日病薬からは、現地対策本部(東北大付属病院薬剤部)への事務局員派遣等の支援もなく眞野薬剤部長と佐藤副薬剤部長が支援についての事務局としての対応を続けており、かなり業務負担となっている。また執行部からの訪問も一切被災後に受けていない。

神奈川県としての支援体制について今後の対応について宮城県を中心とした体制を整備し、特に女川町立病院への継続したボランティア薬剤師の派遣が出来るように検討することを今回の支援にて実際に現地の状況を確認し対応することとした。

仙台泊

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2011/4/19 雨、強風

6:10

仙台出発

6:30

東仙台ICより三陸道に、松島手前付近から渋滞。

7:45

石巻南IC

7:50

北上川橋梁手前付近から周辺の被災状況が刻々と代わり、津波被害の過酷な状況に驚く。万石浦は津波被害は免れたものの地盤沈下と大潮のため浸水。道路も浸水個所多数あり。

8:20

女川町へ入る。女川バイパスから町へ出た瞬間からまさに地獄絵図とかした町の残骸を目の当たりとする。

8:25

女川町立病院 到着 ライフラインは水道、電気が復旧している。トイレも水洗で衛生が保たれている。
降雨と強風であるも、外来患者は絶え間なく来院している。
カルテにじか書きした処方を処方箋として調剤し、投薬。
分包機はユヤマシャルティが稼動。

医療振興財団の派遣チームから薬剤師(土元先生:横須賀市立うわまち病院)と石川県薬等から3名そこに我々2名が合流した。同じ神奈川からの病院薬剤師であることからお互いにとても心強く感じた。
薬品は、災害用支援薬品と卸からの購入薬品が混在して活用されている。

同一成分の医薬品も先発、ジェネリックが混在しての使用。例)ノルバスク⇒アムロジピン⇒アムロジンODといった具合に絶えず入れ替えての対応。服薬指導を煩雑にしている。
食事は、手術室を臨時の厨房として院内で調理が今週から簡単なものとおにぎり等が出来るようになったとの事。昼食は食パン2枚に卵をはさんだサンドイッチ。リンゴ1/4。

午後は比較的外来は少なめであった。その時間を利用してユヤマから提供されたカセットを梱包していたケースを利用して棚を20×2を作成し、平面で薬剤を探す環境から立体的に目視できるように工夫した。
夕食は卵、ソーセージにキャベツを和えた物とふりかけをまぶしたご飯がサランラップを敷いた器に盛られたもの。
セミナー室に職員とボランティアの宿泊スペースがあり、支援物資の毛布、布団をしいてそこで就寝。被災3日後に支給されたと言う自衛隊のグリーンの毛布を使用した。

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2011/4/20 雨→時々曇り

5:30頃

起床。

天候もかなり回復し、雨風が収まっていたので、昨日積み残した支援物資を院内に運び上げた。エレベーターも使用可能になっているが、余震による停止を警戒し荷物のみ積載し人は階段を利用し、1階2階で対応した。

朝食の配給、バナナ、菓子パン2種。我々が支援で持ち込んだ缶コーヒーは大変喜ばれた。

8:30

外来診療開始。昨日が悪天候で有ったため来院患者でごった返した。

12:30

やっと午前外来が落ち着いたので昼食。ふりかけをまぶしたおにぎり&明太子のおにぎりにポテトサラダ。
午後外来の合間に昨日に続き棚の製作、20×2を追加。これで循環器系、消化器系の薬剤が棚からピッキング出来るようになった。

薬袋に服用指示をそれぞれコピー用紙に印字した物を貼り付ける作業をこれまで毎日行っている。かなり、手間と根気が要求される作業であった。
幸い、ユヤマから薬袋印字プリンターが提供されていたのでパソコンに接続し直接袋に印字できるようにセッティングした。
無地の薬袋がないため、薬袋への印字に限界があるので急遽横浜新緑総合病院に連絡し、在庫としてあったものを宅急便にて手配し、追加で1万枚を発注し、入り次第支援物資として郵送することとした。
本日は仙台のベース宿舎に戻るため17:00までの支援業務の予定であったが、大潮の満潮時刻(17:10頃)が迫っており、一部道路冠水が始まっているとの情報から、早めに退出することとした。

16:30

女川町立病院出発。万石浦付近は既に冠水していたが通過するには問題なかった。

17:00ごろ

北上川橋梁手前のトンネルから大渋滞となっており橋を渡る頃は堤防ぎりぎりまで水位が上がっており、あらためて地盤沈下が今後も大きな障害となると感じた。
石巻南IC手前から渋滞がひどく、仙台東ICを降りたのは19:30を過ぎていた。ガソリンを給油し宿舎へ。
夕食後、町立病院スタッフへの差入れの牛タン1.2kgを購入。宿舎にて就寝。

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2011/4/21 晴れ

5:00

起床

6:00

出発。本日も往路渋滞に悩まされた。

8:45

女川町立病院到着。昨日駐車していたスペースにはヘリコプターの発着があるということで、老健側のスペースに移動し車を降りた。

本日から石川県薬のメンバーと交代で岡山県薬、山口県薬(山口県立総合医療センターの薬剤師は日病薬の存在自体を全く認知していないようであった。)からのボランティア支援に各1名派遣された。

天候は晴天で比較的暖かい状態であった。
外来はやはり午前中に集中した。前々日からの悪天候と気温の低下から風邪症状の患者が多く来院した。また、ノロウイルス感染と思しき下痢症状の患者も多く見受けられたが、幸いインフルエンザの受診はなかった。

昼の休憩時間を利用して病院の駐車場から付近の様子をカメラとビデオにて撮影した。

今日は、取材や厚生労働省からも病院訪問があり、事務方、院長など忙しい合間を縫っての応対に追われていた。
昼食は炊き出しのカレー、焼きそば、トン汁など。
炊き出しは神奈川県から平塚八幡宮神社の会、東亜工業(宮城県に子会社を持つ?)がボランティアとして行ってくれた。

13:30

午後外来開始。麻薬調剤あり(金庫は水没したものの使用可。)
振興財団のメンバーは毎週木曜日に交代しており、本日のヘリコプターの発着は医師団を送迎するためであった。3機が準じ発着し医師の交代を終えた。
その他の医療スタッフは大型バスで東京まで移送される。
先週の木曜日から支援に入っていた土元先生(横須賀市立うわまち病院)が帰還し、交代に湯沢町立医療センターから派遣された原澤先生に引継ぎ交代した。

午後は比較的外来が落ち着いており、無地薬袋が到着していたのでPCを使って印字用のPDFを6種(内服用万能薬袋、頓服、外用、老健用3種(あさ、ひる、よる))作成し、印字を行った。これで糊張りの作業から開放されることとなった。

17:30

日勤業務終了。残り番は医療振興財団から派遣されている薬剤師が18:00まで(宿舎への送迎バスの出発時刻)対応。

夕食後、差入れの牛タンを病院に寝泊り(自宅が崩壊している)している職員と食す。
久しぶりに食べる牛タンに皆大喜びしてくれた。
石巻蛇田の自宅に昨晩帰宅した山内先生が焼酎を差入れてくれた。
セミナー室にて就寝。

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2011/4/22 曇り

4:45

起床。

時間が早いので病院の丘から町内被災現場に津野君と巡回した。あらためて被害の甚大さを実感した。
観光土産水産販売店などのある道路は、海水で冠水していた。
唯一非難し一命を取り留めた新田先生の店舗「新田薬局」を見つけた。道路に面した店舗内にボートが突っ込んでいた。
女川町立健康センターや消防署など全て津波に飲まれて崩壊していた。

病院裏手の山沿いの民家前には捜索隊が並べたと思われる被災者の持ち物と思われる品々が集められていた。

8:30

外来診療スタート。医師団は昨日から交代で入ったメンバーが多く、疑義紹介を頻繁に行うことが必要であり投薬の待ち時間がどうしても長くなってしまった。
今日も栗原からの炊き出しが駆けつけてくれたが雨が昼前から降り出したため、急遽ピロティーでの炊き出し設営となり、食事(焼き鳥丼、わかめ味噌汁。リンゴ1/4)が出来たのが12:30を過ぎていた。

今回ヴァイオリンを持参していたが今日まで演奏することに戸惑いを感じていたが思い切って山内先生に申し出てみたところ是非演奏してほしい。臨時薬局と受け付けとなっている場所は本来多目的ホールとして院内コンサートなどを行っていた場所であり、演奏することに院長先生をはじめ後押しをしてくださった。

午後外来始まる直前の13:15に開始した。

外来診療開始を待っている患者さんに向けて、「情熱大陸」と「ヴォカリース」の2曲を演奏した。患者さんの表情に笑顔が戻る瞬間がなんとも反対に自分が励まされる思いがした。
午後の外来は天候が悪いためか比較的落ち着いていたので、薬袋印字作業の手順を新田先生にしっかりと引き継ぐことが出来た。
16:30 支援活動を終了し、岐路についた。
やはり、冠水と渋滞が待ち受けており、仙台に入ったのは19:30頃となり、たっぷり3時間を要した。

仙台泊

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2011/4/23 雨、強風

5:00

起床

7:30

仙台宿舎出発。仙台南ICより東北道を走行。車は都内まで比較的すいており渋滞はなかったが、昨晩からの天候の悪化がはなはだしく断続的な豪雨と強風に悩まされながらの長距離走行となった。昨晩、仙台に一泊してよかったと感じた。

12:50

横浜新緑総合病院到着。備品等を積み下ろし

13:30

ミッション終了。帰宅。